親としての役割:子供の道を見守る大切さ vol.347

写真を整理していたら中学2年生のマラソン大会の賞状が出てきました(笑)今日はこれみて思い出、今感じることを書いていきます。

子供が成長していく中で、親としてどのように関わるべきか、どのように支えるべきかは、常に考え続けてきた課題です。私自身、幼少期から多くの習い事や部活動に励んできましたが、その選択の背後には親や兄の影響が大きくありました。私が親になり、自分の子供たちが成長する過程で、その経験を基に「子供には好きなことをやらせたい」と強く感じるようになりました。そして、今では3人の子供たちがそれぞれ自分の道を歩んでいます。このコラムでは、私自身の経験と子供たちの成長を振り返りながら、親としての役割とその大切さについて考えます。

習い事

私が幼少期に過ごした日々は、親が選んでくれた多くの習い事に囲まれていました。水泳やアイススケート、少年野球といったスポーツ活動に加え、習字や絵、ピアノといった芸術系の習い事にも多くの時間を費やしてきました。男性でピアノが弾けることを大人になってからやってきてよかったと思えましたし、それぞれの活動が私に様々なスキルや経験をもたらしてくれたことは確かですが、本当にやりたかったことは何だったのかと考えると、正直なところ、はっきりとした答えが見つからないこともあります。

兄が背中を押してくれた

私が小学5年生の時、父を亡くしました。そのことで、私は大きな喪失感と戸惑いを抱えましたが、そんな私を支え、励ましてくれたのは4歳年上の兄でした。兄は父親代わりのように、私に「運動部に入ること、そして自分がやりたいと思うことをやれ」と背中を押してくれました。その言葉は、当時の私にとって非常に大きな支えとなり、心の拠り所となりました。

中学に進学した際、私はブラスバンド部に入部しましたが、希望していたサックスを手にすることができず、部活自体を楽しむことができませんでした。その時も、兄の言葉を思い出し、自分が本当にやりたいことは何かを考えました。そして、最終的にバレーボール部に転部することを決意しました。兄の助言がなければ、私はその選択をする勇気が持てなかったかもしれません。

内申点に影響⁈

部活動を変えると内申点に影響する。高校進学に対する恐怖感を与える言葉でありますが、この言葉を聞いていた学生は多いと思います。しかしながら、好きでもない楽しくもない部活動を続けることになんの意味があるのか…今であれば明確な答えが出るわけですが、学生時はこの噂に影響された学校生活があったと思います。

マラソン大会で丸坊主

バレーボール部に入ったことで、体力が向上していく中、もう一つの試練が私を待っていました。学校では毎年、根岸森林公園でマラソン大会が開催されましたが、その大会で学年15位以内に入らないと、男子は丸坊主にされるという罰があったのです。横浜市大会で初戦勝か負けるかのチームではなかなか厳しい罰則であり、今では考えられないような罰則ですが、当時はそれが当たり前のように行われていました。もちろん水を飲んだらいけないわけですし(笑)

私はこの理不尽なルールに納得がいかず、先生に抗議しましたが、罰は変わりませんでした。仕方なく、マラソンの練習を始めました。心臓が破れそうな思いでダッシュを重ね、当日の大会では必死に走りました。その結果、私は8位に入り、丸坊主を免れることができましたが、約束通り、不成績に終わった部員たちは先生の手で坊主にされました。

昭和の象徴のような事件ですが、この経験を通じて、理不尽な状況に直面しながらも、それを乗り越えるために努力することの重要性を学びました。また、この時の経験が、私が自分の子供たちに対して、「好きなことをやればいい」と繰り返し伝える理由の一つにもなっていると感じます。

高校進学時には、将来の大学進学のことも考え、さらにバレーボールの強い学校を選びました。高校3年間、私はバレーボールに打ち込み、そのスポーツに夢中になりました。この経験は、私にとって非常に貴重なもので、多くのことを学び、成長する機会を与えてくれました。

親は応援団長

このような経験から、私は自分の子供たちにも好きなことをやらせたいと考えてきました。私には3人の子供がいますが、今では全員が成人し、それぞれ自分の道を歩んでいます。子供たちが成長する過程で、私は彼らが自分の意思で道を選び、その道を進んでいけるよう、できる限りのサポートをしてきたつもりです。彼らが選んだ道に対して、私はただ見守り、応援することが最も大切だと感じていました。

夢のない子供たちが多い中で、親が無意識に子供の選択肢を狭めてしまっているのではないかという懸念もありました。そのため、私は繰り返し子供たちに「自分のやりたいことをやりなさい」と伝えてきました。親としての理想や期待を押し付けるのではなく、一人の人間としての子供たちの意思を尊重し、彼らが自分の道を見つける手助けをすることが重要だと考えたからです。

時には、自分の理想や期待が先行してしまうこともありましたが、そのたびに自分の子供である前に一人の人間であることを忘れずに接するよう心がけてきました。今、子供たちがそれぞれ自分の道を進んでいる姿を見ると、親としてその成長を見守り、支えてきたことが報われたと感じています。

最終的に、親の役割は、子供が自分の道を見つけ、その道を進んでいくための支えとなることだと私は信じています。私自身の経験から学んだことを活かし、子供たちが自分の意思で選び取った道を応援し続ける親でありたいと、これからも願い続けています。